悪性リンパ腫・抗がん剤治療の経過について

治療がひと段落した今、これまでの経過を振り返ってみたいと思います。
郷原信郎 2025.12.19
誰でも

昨日(12月18日)、悪性リンパ腫の抗がん剤治療6クールに加えて、分子標的薬(リツキシマブ)の点滴を2回追加し、最後の点滴が終了。今後は、概ね3か月後に、PET-CT検査で、リンパ腫の存否を確認した上で「寛解」の判定を待つことになります。

インフルエンザ、コロナが流行するこの期間、抗がん剤による免疫抑制のため感染症リスクには最大限の注意が必要とのことで、多数人の会合への出席、会食等を控えなければならない状況は続きますが、春には、完全に元の状態で業務・活動を再開できることをめざしたいと思います。

思い起こしますと、最初の抗がん剤投与は、ICUに緊急入院した7月15日でした。腫瘍は腹腔内の無数のリンパ節だけでなく肝臓にもおよんでいたことから、悪性リンパ腫(ステージⅣ)との診断で、リンパ腫の急激な増殖に伴い、腎機能が極端に悪化していたため、一日でも治療が遅れたら命の危険につながりかねない状況でした。

それから5か月余、今では以前と変わらない発信ができています。私の場合はお陰様で奇跡的な回復を遂げることができたのですが、その経過は、最近、悪性リンパ腫が高齢者を中心に増加していると言われる中、皆さんや皆さんのご家族にとっても、決して無縁のものではないと思えます。一つの事例として、参考までに、この約5か月間の経過を振り返ってみたいと思います。

「悪性リンパ腫」と診断されるまで

今年の前半は、昨年末に出された、五輪談合事件でのセレスポ・鎌田氏への東京地裁一審不当判決に対する控訴審に向け、控訴趣意書を作成するという大きな仕事がありました。それに加え、4月にKADOKAWAから公刊した政治資金パーティー裏金問題についての著書【法が招いた政治不信】の最終の執筆があり、6月には「日本に法と正義を取り戻す会」を設立し、神戸、横浜での講演会、東京でのシンポジウムなどの活動も行いました。そして、竹内元県議夫人の立花孝志NHK党代表に対する「死者の名誉毀損」を含む2回にわたる告訴状作成提出がようやく終わったのが6月末でした。正直なところ、3月に70歳を迎えた私にとって、これまでの人生でも最も多忙で、朝3時、4時からパソコンに向かい執筆・起案を続ける日が続いていました。

そうした状況の中で、5月末に一度、微熱が出て、耳の後ろが痛かったことがありましたが、すぐに収まったので気にしていませんでした。それ以外には、疲労感がそれまでより強く、一時的に胃の不快感があったくらいで特に酷い体調悪化を自覚することはありませんでした。

半年ごとに受けている人間ドックを6月11日に受診し、下旬に結果の通知を受けた際には、従来から基準値を超えていたγ-GTPに加えて他の肝臓の数値が揃って悪化、LDH(全身の細胞が壊れると血液中に流出する酵素で、体内のどこかの細胞がダメージを受けているサイン)が500を超え正常値範囲の倍以上となっていて、炎症を示すCRPも基準よりかなり高かったのですが、担当医からは「休肝日を設けて飲酒量を減らすように」と言われた以外は、特に再検査等の指示はありませでした。

悪性リンパ腫の診断を受けた上で振り返ると、この時の血液検査の結果は発病の兆候を示していたものと言えます。ただ、悪性リンパ腫のような「血液のがん」は、臓器のがんのように、局所的に症状が表れるとは限らず、症状も進行度も多種多様で、血液検査や他の検査による診断基準として客観化しにくいためか、もともと人間ドックでの発見にはあまり重点が置かれていないようです。私のケースでも、単に肝臓などの再検査をしたとしても、その結果だけで悪性リンパ腫と診断される可能性は低かったかもしれません。

急激な症状悪化、消化器内科受診と「深刻な病状」判明

症状が表れてきたのは、7月6日からでした。まず腰の右側に痛みと、お腹の不快感がありました。徐々にその感覚が強くなって、食べたものが消化されにくい感じがあり、次第に、腹部が完全に固まってしまって、胃腸がほとんど動いていない感覚で、夜中じゅう苦痛で眠れない状態になったため、8日に近所の胃腸科クリニックを受診したのですが、「このところの猛暑による自律神経の不調でよくある症状です」と言われて、診察らしきものもなく胃腸の薬を処方されただけでした。

処方薬を飲みましたが、その夜もさらに症状は悪化し、良くなる兆しはありませんでした。翌朝、たまたま、その数か月前に都内の某私立医大の消化器内科の主任教授が事務所に来られたことがあり、その教授に相談してみようと、携帯電話にかけて症状を説明しました。

すると、「すぐに病院に来てください」と言われたので、病院に行って診察を受け、腹部のCTを撮ったところ、その画像を見ながら、教授から、

「郷原先生、これはかなり深刻です。お腹じゅうリンパ節が腫れているので、これでは食べ物が消化できないのは無理もない。悪性リンパ腫の可能性、或いは、胃腸に、ステルス癌のような増殖の速いがんがあって、そのリンパ節への転移の可能性もあります。すぐに入院して詳しい検査をする必要があります。」

と言われました。

70歳になるまで、これと言った病気をしたことも、入院したこともなかった私にとって、医師からの「深刻」という言葉は、あまりに唐突で、自分のことのようには思えませんでした。しかし、その後の説明で、自分の体がどうなっているのか、「深刻」の意味もよくわかりました。

診察室を出て、すぐに妻に電話をかけ、教授の説明をそのまま伝えました。驚いた妻がすぐに病院に来ることになり、それを待つ間に、ベンチに座り、「自分の命の終りが近いところに迫っているのかもしれない」という、それまで、走り続けてきた人生の中で考えたこともなかった現実がある、ということを前提に、自分の頭を整理しようと思いました。が、何も具体的に考えることができないまま、造影剤を入れたCTをもう一度撮ることになり、それが終わった時点で、妻と合流し、入院する病室に向かいました。

この時の検査入院は3日間で、大腸ファイバーや胃カメラなどの結果、懸念されていたスキルスなどの胃腸のがんは発見されず、やはり「悪性リンパ腫」とほぼ確定、組織検査の結果を待って、抗がん剤治療を開始することとして、11日(木)に一旦退院しました。

その後、昼間は比較的体調も落ち着いていることも多かったのですが、夜は背中の痛みで眠れず、痛み止めや湿布でしのぐ日が続き、14日(月)には、痛み止めを飲んでも収まらなくなりました。

もうどうにもならないと思っていた15日(火)、ちょうど血液内科での初受診が予定されていた日でした。血液検査をした結果、急激に症状が悪化していることがわかり、腎不全に陥っているということで、集中治療室(ICU)に緊急入院することになりました。

「ICU」という場所

ICUというと、重篤な患者が運び込まれて緊急の治療を行う病室、という程度の認識しかないと思います。実際のICUでは、まず、首の静脈と左手首の動脈にカテーテルが挿入され、首の静脈から、腎臓の人工透析、抗がん剤等の投与が行われ、左手首では、血圧、脈拍等が常時監視されるという状況でした。

そのような「管につながれた状態」で寝ているしかないのですが、ベッドの横には、移動式のテレビがあり、右手だけは動かせる状況でした。その状態で、9日間、ICUでの治療が続いたのですが、痛み止めや抗がん剤の効果で、痛みなどの全身状態は落ちついてきたので、テレビを見ることで退屈を凌いでいました。

ちょうどその週末、7月20日(日)が、参議院議員選挙でした。投票は欠かさなかった国政選挙での棄権にはなったものの、各局の開票速報や選挙特番等を、じっくり見ることができました。選挙をめぐる状況、選挙結果について、いろいろ考えることもできました。

参議院選挙について考えることができるほど、緊急入院直後から始まった抗がん剤投与などの治療の効果があり、確実に悪性リンパ腫の症状が改善しているということだったのだと思います。自分でも、良くなっているという実感がありました。

正式病名の判明、その後の治療計画

既に、ICUにいる間に、悪性リンパ腫に対する一般的な抗がん剤治療である「R-CHOP」の1クール目が開始されていましたが、組織検査の結果が出て、正式病名が「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と判明、7月23日に一般病床に移り、29日に、担当医から、私の悪性リンパ腫の詳細とその後の抗がん剤治療の説明がありました。

この時、担当医から言われたのは、私の場合、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」の中でも「CD5陽性」という結果が出ており、予後不良を示す要因で、特に神経を通じて脳にリンパ腫が転移する可能性が高いので、その予防のための治療が必要になるということでした。

そのため、2クール目から、少し強度を高めた「Pola-R-chp」に切り替え、3クール目からは、「DA-EPOCH-R療法」という特に強度の高い(免疫をギリギリまで抑制してリンパ腫を叩く)抗がん剤治療を行う必要があること、それに加えて、「CD5陽性」による脳等への転移を予防するために、大量メトトレキサート療法を行う必要があり、それらは入院治療でなければできないので、一時退院は可能だが、その後半年程度は入院治療が必要になる、という話でした。

この「CD5陽性」とそのための抗がん剤治療の話は、さすがの私にとっても、最初に消化器内科の教授の説明を受けた時以上にショックでした。

その時点では、抗がん剤の効果が相当表れているように実感していましたが、「CD5陽性」であることが、私のその後の病状、回復の可能性という面で、最悪の展開を覚悟しなければならない、ということだと思いました。

説明を聞いた部屋から病室まで、妻に支えられながら戻りました。

その時点で、2クール目の治療が目前に迫っていたので、取りあえず、2クール目は「Pola-R-chp」にすることにした上、3クール目からの治療については、セカンドオピニオンを聞いてみてから決めることにしたいと思いました。

そこで、私のYouTubeチャンネル《郷原信郎の「日本の権力を斬る」》にもゲストとして何回も出演してもらっている上昌広医師に相談したところ、上医師のご専門は血液内科だったということで悪性リンパ腫にも詳しく、国立がんセンターのリンパ腫の専門医として著名な伊豆津宏二医師にセカンドオピニオンをお願いすることにしました。

8月25日に外出許可を得て妻と一緒に国立がんセンターを訪れ、伊豆津医師に相談したところ、

「DA-EPOCH-R療法は、確かにCD5陽性の場合の再発可能性を低下させる治療として行われているが、再発可能性を低下させる臨床試験によるエビデンスがあるわけではなく、一方で、免疫抑制をぎりぎりまで行うことにともなう患者の体力低下が著しいので、がんセンターでは70歳以上の患者には行っていない」

とのことで、その時点では、2クールの抗がん剤治療でかなり効果が表れている状況でしたので、「その治療を継続する選択肢もあるのではないか。」という助言でした。

その伊豆津先生の所見は、私の担当医宛ての書面にして頂き、その後、担当医と話をした結果、取りあえず3クール目の抗がん剤治療は、2回目と同じ「Pola-R-chp」を行い、その後は、病状を見てどの治療を行うか判断しようということになりました。

病床からのメッセージ

私のICUへの緊急入院の時点で、その後相当な期間、私自身は業務も活動も行えなくなることが予想されました。弁護士業務に加え、それまで継続的に行ってきた、YouTube、X、Yahoo!エキスパート記事等による発信ができなくなる状況になることが確実だと思えました。

突然の発信や業務の中断について、発信を見てくださる皆さんに事情を説明する方法は、緊急入院を公表するしかないと思い、7月16日に、このニュースレターで公表しました。

それを知った私の幼なじみで俳優の佐野史郎がインスタグラムで投稿してくれ、それがスポーツ新聞の記事になってYahoo!に転載されたこともあり、多くの人が私の「悪性リンパ腫・ICUへの緊急入院」を知ることになりました。

その後、YouTube、X、ニュースレター等でのコメントを通じて、見舞い、回復への祈り、激励のメッセージが寄せられ、一つひとつに、大変励まされました。その多くが、「治療に専念して早く元の体に戻って活動してほしい」との声でした。

私が診断された悪性リンパ腫は、「CD5陽性」という予後不良の要因があること、さらに強度の抗がん剤治療も併用し、相当な長期間、治療を継続する必要があると言われた時点で、「一定期間何もしないで治療に専念すればほぼ元の体に戻る」という単純な病ではないことを覚悟せざるを得ませんでした。

先の見えない闘病の中で、その時々の病状、体調に応じて、可能な範囲で、私自身のこれまでの戦いの延長として、どうしても世の中に言っておきたいことの発信は、病床からも行っていかなければという思いを強くしました。

もっとも、抗がん剤の副作用による「手先の痺れ」がかなり酷く、パソコンでのキーボード入力が思うようにできなかったので、妻に口述筆記してもらって作成し、7月27日に発信した記事が【読売新聞(毎日新聞)の「石破首相退陣へ」誤報は、戦後最大の報道不祥事~自民党石破総裁は厳正な抗議を!】です。

その後、8月に入り、上記の読売新聞大誤報問題に加え、「横浜市長選をめぐる問題」、「竹内元県議婦人による立花氏名誉毀損告発の問題」について、妻がスマホで録音した私の音声を「その1」~「その3」に分けて、「病床からのメッセージ」として、YouTubeで発信しました。

こうして、7月末から8月中旬という、私にとっては、「CD5陽性」の問題と、次に述べる右手首の感染症の二つで最も厳しい状況にあった時期、社会への発信を再開することで気力を維持することができたのは、回復に向けての「薬」にもなったと思います。

抗がん剤の副作用との闘い

一時は全身に拡がっていたリンパ腫が、1クール目の抗がん剤の効果で、8月に入ってかで相当程度抑えられてきた実感があり、特に腹部の違和感、痛みはほとんど感じなくなりました。その一方で深刻だったのが、抗がん剤の副作用による免疫抑制に伴う感染症でした。

ICUでは、左手首の動脈にカテーテルを挿入し循環動態を24時間把握する措置がとられていましたが、ICUから一般病床に移る際にカテーテルを取り外した前後で、挿入部位からの黄色ブドウ球菌による感染が発生し、血管を通じて菌が全身に及ぶ恐れがあるということで、抗菌剤の点滴を1日3回受ける治療が始まりました。

幸い全身への感染は抑えられたものの、左手首の感染症はなかなか回復せず、腫れが続き、その痛みがさらにひどくなってきました。8月15日に血管エコー検査をしたところ、血管の剥離に加えて動脈瘤が生じており、それが破裂すると左腕全体に出血が及ぶ危険があるということで、緊急で左手首の動脈を切断する手術が必要になりました。

ところが、抗がん剤治療の方が、その直前に2クール目の投与を受けており、すぐに手術の予定を入れると、予定日は1クール目で白血球が800(一般的には3,100~8,400個/μL)にまで落ち込んだ最悪の免疫抑制期に当たることから、このような状況で動脈を切開する手術をすると別の感染症のリスクが大きいのではないか、逆に、動脈手術を遅らせた場合の動脈瘤破裂のリスクとの関係をどう考えるか、難しい判断になりました。

結局、2クール目の抗がん剤による免疫抑制のピークを超えるまで動脈切断手術を延期し、8月22日に、全身麻酔での手術が無事に終わりました。手術を延期している数日は、痛みや微熱が続き、それに動脈瘤は見た目にも脈を打っていて、いつ破裂してもおかしくない状況で、本当にハラハラしました。

病気にかかったことがわかれば、まずは、その全治をめざして可能な限りの治療を受けることになります。しかし、それが抗がん剤などの強い治療を受ける場合、その副作用も大きく、それが身体に様々なダメージを与え、別のリスクを生じさせます。そこでの医療機関、患者としての対応は、そのようなリスク全体を克服できるものである必要があります。

ICUに緊急入院した時点では、そこで装着したカテーテルから黄色ブドウ球菌の感染が発生し、それ自体が悪性リンパ腫の治療を妨げるような重大なリスクになるなどとは思いもよりませんでした。医療、治療には、様々なリスクがあること、そこに複雑な問題が生じることは、実際に重篤な病気にかかってみて初めて実感することです。

退院、PET検査、治療を完走

2クール目の抗がん剤治療開始後は、腹部の違和感を感じることはなくなり、血液検査の結果も、LDHが正常値に戻るなど、悪性リンパ腫治療の方は極めて順調でした。抗がん剤の副作用も、最も大変だった黄色ブドウ球菌感染、動脈瘤の破裂の危険、全身麻酔での動脈切除手術を何とか克服できたので、8月29日に一旦、退院することになりました。

退院が決まった時点では、まだ、「CD5陽性」の問題への対応は確定的になくなったわけではなく、病状によって検討することになっていました。「退院」も、その後の病状によってはまた治療のため入院するという意味で、「一時的なもの」というニュアンスでした。

しかし、退院の翌週の9月1日に全身PET-CT検査を受けたところ、結果は、「現時点では、全身にリンパ腫は確認できない」というものでした。担当医も、少なくとも、この時点では「寛解」に近い状態なので、通院での抗がん剤治療でいいでしょうということになりました。

退院後は、リンパ腫はほぼ「寛解」状態と確認できて気を良くしたこともあり、体調自体はほぼ万全でしたが、抗がん剤の副作用の「手足の痺れ」「味覚障害」「脱毛」などが、悩みの種でした。「味覚障害」「脱毛」の方は、治療が終了すれば、徐々に回復できるようですし、現時点でも少しずつ回復してきている部分がありますが、「手足の痺れ」の方は、抹消神経障害ということで、抗がん剤の回数を重ねていくにつれて症状が悪化する感じでした。

そこで、4クール目は「Pola-R-chp」から最初の「R-CHOP」に戻し、5クール目以降は、「R-CHOP」の中でも痺れの原因になる抗がん剤(オンコビン)を除外してもらうことにしました。

奇跡の要因

こうして、6クール目の抗がん剤治療を12月1日に受け、オンコビンを除外したことによるリスクを減らすため分子標的薬のR(リツキシマブ)を追加で2回受けたことで、予定していた抗がん剤治療は無事に終了しました。現時点では、殆ど元の体調を取り戻すことができています。ICUへの緊急入院の時点の重篤な病状、その後「CD5陽性」と診断された時点からすると「奇跡的」とも言えるように思います。

その奇跡の原因として考えられることとしては、第1に、悪性リンパ腫には、進行の速いタイプと遅いタイプがあるのですが、私の場合、少なくとも、診断された時点では「急激に増殖するタイプ」だったことがわかっていて、それが抗がん剤の劇的な効能につながったものだと考えられます。悪性リンパ腫の抗がん剤は、「増殖中の細胞を叩く」という効果を持つものとのことで、病状の急激な悪化時は、かえって抗がん剤の効果が期待できるということは、最初から担当医師から説明されていました。

そして、やはり、がんを克服するためには、気力・体力が必要だということは、今回の闘病で強く認識したところです。そういう意味で、多くの関係者の方々が面会に来てくださったり、緊急入院の公表で私の病気を知った多くの方々から激励のメッセージを頂き、「この世の中に対して、どうしても私自身が言わなければいけないことがある」という気持ちを持ち続けたこと、入院中からYahoo!記事、YouTube、ニュースレターでの発信を再開し、「病床からのメッセージ」を発信し続けたことも、「奇跡の回復」の一つの要因になったのではないかと思います。

しかし、そのようなことは、入院中のがん患者を支え、看病する側にとっては、ワガママそのものであることも確かです。入院中の私に可能な限り付き添い、いろいろ世話をし、事務所の弁護士としての業務が最低限回るようにすることで大変だった上に、口述筆記、YouTubeやレターの編集発信等をやってくれた私の妻の支えがあったからできたことです。そういう意味で、「病床からのメッセージ」などというワガママを通させてくれた妻の理解とサポートがあったことが、何と言っても、「奇跡」の最大の要因だと思います。

そして、入院直後に私が直接行えなくなった横浜市特別コンプライアンス条例案の策定、退院を控えた8月下旬の兵庫県斎藤知事の公選法違反事件の事実関係、法律問題の整理、利害誘導罪の構成などで大きな貢献をしてくれた当事務所の佐藤督法務コンプライアンス調査室長をはじめ、事務所スタッフ全員が、それぞれの役割以上の貢献をして支えてくれているからこその「郷原総合コンプライアンス法律事務所」であることを、今回、改めて認識したところです。

こうして、本当に多くの方々に支えられて、無事に予定の抗がん剤治療を終え、奇跡といえるほどに回復できたことに、心から感謝し、本稿を終えたいと思います。

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