兵庫県斎藤知事をめぐる分断対立を背景とする「SNS侮辱略式起訴騒ぎ」と“公文書偽造・同行使罪”の疑い
今年6月、ある「侮辱罪による略式命令」をめぐって「騒ぎ」が発生しました。
発端は、阪神・淡路大震災30年の慰霊のために神戸を訪問された天皇皇后両陛下と斎藤知事との写真に、百条委員会で斎藤知事を追及した県議会議員の丸尾牧氏の名前を出して「丸尾が黒幕」などのセリフを重ね合わせた画像等が、「北海道の歩き方」と称するX(旧ツイッター)の匿名アカウントに投稿されたことでした。
それに対して、個人でYouTubeチャンネルを開設し、毎日、YouTube動画による配信を行っている元民放局アナウンサーの子守康範氏が、自身のYouTubeチャンネルで「度を過ぎた遊びとも言えないことをやっている奴らがいる。」「単なる頭おかしい奴らが書いていて」などと発言したことに対して、匿名アカウントの運用者(後述するように、被害者特定事項秘匿制度の対象とされ、告訴人氏名は刑事事件でも秘匿されています。以下、運用者を「A」といいます。)が刑事告訴を行い、子守氏が侮辱罪で9000円の科料の略式命令を受けました。
本来、略式手続は、公判と異なり非公開で、少額の罰金・科料を支払うことで刑事事件を決着させる手続です。14日以内に正式裁判を申立てれば略式命令は失効し、通常の公判手続に移行します。実際に、その後、子守氏は、この略式命令に対して正式裁判申立を行っており、無罪主張をする方針を明らかにしています。
ところが、この件に関して、検察が公表もしていないのに、「略式起訴」がネット上で公開され、騒ぎに発展しました。それは、略式命令が出された直後、まだ子守氏に命令書が送達されていない時点で、Aが、検察官名義の告訴人A宛ての「処分通知書」を一部マスキングして添付し、起訴されたことが子守氏だとわかるような内容のX投稿を行ったことによるものでした。
それを受けて、弁護士の福永活也氏が、Xに、
「書類送検どころか、子守康範氏が起訴されたという情報が入ってきましたが、本当ですか!?」
と投稿、略式手続に対する同意書に署名しただけで、略式命令の送達も受けていなかったため、その時点では「起訴」されたとの認識がなかった子守氏は、
「デマ拡散の魚拓いただきました。裁判所で会いましょう!」
と反応しました。しかし、その後、処分通知書がX上にアップされていることを知り、YouTubeで「略式起訴」されたことを認めて謝罪しました。
これを受け、福永氏は、
「子守康範氏が侮辱罪で起訴され、犯罪者となります。」
と題するYouTube動画を配信し、その直後、立花孝志氏が、自身のYouTubeで
「おい、犯罪者子守康範、てんコモリスタジオの元TBS系MBSアナウンサー」
「起訴されたんやろ。略式受け入れるんやろ。犯罪者確定やないか、前科持ちやないか!」
など、SNS上で子守氏のことを「犯罪者」「前科者」などと騒ぎたてました。
「北海道の歩き方」と称する匿名アカウントの運用者Aは、X、YouTubeなどの投稿を行っています。その投稿では、百条委員会で斎藤知事を追及した竹内英明元県議(斎藤知事再選後に県議を辞職し、今年1月に死亡)、丸尾牧県議等の「反斎藤派」を揶揄する投稿を続けており、その中で、竹内元県議や、告発文書の作者である元県民局長の写真を便器や汚物と重ね合わせるコラージュを投稿するなど、非常識な投稿を行い、「批判の炎上」により注目を集めて視聴数を稼ぐ、というやり方を繰り返している「斎藤派」の匿名投稿者です。
その「北海道の歩き方」のX投稿を批判した子守氏は、YouTube等で、兵庫県知事をめぐる問題に関して、元県民局長の告発文書に対する斎藤知事の対応等を批判してきました。反斎藤派の中心人物と目され、斎藤派からは反感を持たれています。
子守氏が侮辱罪で起訴されたことを伝えるYouTube動画を配信するなどした福永活也氏は、NHK党の立花孝志氏の支持者です。立花氏は、昨年11月の兵庫県知事選挙に「斎藤氏を応援するため」と称して立候補し、「2馬力選挙」で斎藤氏の当選に貢献したとされている「斎藤派」であり、福永氏は、2024年の衆議院議員補欠選挙東京15区にNHK党から立候補したこともあり、YouTube等で「反斎藤派」を批判する発信を行っています。
このように、「SNS上での侮辱」をめぐる科料9000円の略式命令が「騒ぎ」に発展した背景には、兵庫県斎藤元彦知事をめぐって続く「斎藤派・反斎藤派」による分断対立の構図があるのです。
この問題は、侮辱罪の法定刑引上げの刑法改正、被害者特定事項秘匿制度の導入の刑訴法改正など、最近の刑事法改正の法運用だけでなく、本来、非公開の手続である略式命令の運用にも関わるものです。この事件に対する検察庁・裁判所の判断如何では、今後、SNS上で発生する同種の問題が、刑事司法の世界に大量に持ち込まれることになりかねません。
私も、ネット上での「騒ぎ」の時点でこの問題に関心を持ち、ネット上で入手し得る限りの情報を収集しました。それによって把握した事件の経過と事実関係に基づき、この事件が今後の刑事司法の運用に与える影響も含めて解説することとします。
「北海道の歩き方」の投稿と、子守氏の発言内容、刑事事件化の経過
令和7年1月16日、天皇皇后両陛下が、阪神・淡路大震災から30年の追悼式典に参加されるため神戸空港に到着された際に、斎藤知事が出迎えた場面の映像に、両陛下と斎藤知事の会話を重ね合わせた以下のような画像をアップしました。
このX投稿へのリプライとして、「北海道の歩き方」自身が、
天皇「竹内君は消しといたから」
斎藤知事「有難きお言葉」
などと付け加えています。
これを見た子守氏は、同日、「てんコモリスタジオ」でのYouTube配信で、
北海道の歩き方というXアカウントがありまして炎上しております。
ふざけたことをやりよったんですね。
と述べて、そのような心ない投稿が、いかに大震災被害者の心を傷つけるものであるかを話す中で、
度を過ぎた遊びとも言えないことをやっている奴らがいる。
単なる頭おかしい奴らが書いていて、脳内麻薬が出ているのかしりませんが、薬打ってるような感じで
などの表現も使いました。
前記のとおり、「北海道の歩き方」のAは、SNS上で、竹内元県議や元県民局長など故人の写真と便器・汚物を組み合わせた侮辱的な画像の投稿を繰り返すなど、度の過ぎた悪ふざけ投稿を繰り返してネット上で注目を集め、多くの視聴を獲得して利益を上げています。死者に対する侮辱罪がないことからこの点は罪に問うことはできませんが、遺族の心情を思うと、その所業は凡そ許せることではありません。
そして、そのAの悪質性が極端なまでに表れたのが、阪神・淡路大震災30年の慰霊のために神戸を訪問された天皇皇后両陛下と斎藤知事との会話に「黒幕」「丸尾」などの言葉を重ね合わせた画像の投稿でした。
しかも、それに天皇陛下のセリフとして、
《天皇「竹内君は消しといたから」》
などという言葉まで書き加えています。
その投稿の2日後の1月18日に、竹内元県議は自ら命を絶ちました。
大震災から30年、両陛下の慰霊訪問を厳粛に受け止め、6434人の犠牲の御霊に静かに祈りを捧げたいと思う兵庫県民にとって、その両陛下と斎藤知事との会話に、兵庫県の分断対立を象徴するような言葉を重ね合わせ、心をかき乱すような投稿がネット上で拡散されていることに対して、強烈な反感を抱くのは極めて自然な反応でしょう。両陛下と丸尾牧議員、竹内元議員を誹謗中傷するもので、一般人の常識からは考えられない悪質な投稿です。
子守氏が、「度を過ぎた遊びとも言えないことをやっている」「単なる頭おかしい奴らが書いていて」と表現することも、むしろ「当然の反応」と言うべきでしょう。
しかも、同投稿では、天皇皇后両陛下と斎藤知事の会話として「で、結局誰が黒幕なの?」「丸尾です」「やはりですか…」「不敬罪で収監して!!」などのやり取りが記載されています。この会話の中の「丸尾が黒幕」というのは、昨年11月の兵庫県知事選挙の選挙期間中にSNS、街頭演説等で発信し、丸尾牧氏ら斎藤知事を追及する側の県議会議員に対する批判として流布されることで選挙結果にも大きな影響を与えた「政治的発言」です。しかも、同言説はもともと極めて根拠薄弱で、後日、「デマ」であることを発言者の立花氏自身も認めています。
憲法上、「国民の象徴」であり、政治的発言を禁じられている天皇陛下が、兵庫県知事選挙で立花氏が発言したフレーズを用いて兵庫県知事と会話をしているかのような、国民にとっても到底許容できない表現を含んでいるのであって、投稿の異常性、反社会性は際立っていると言わざるを得ません。
ところが、このような非常識極まりないX投稿を批判された「北海道の歩き方」のアカウント運用者のAは、上記の子守氏の発言が名誉毀損に当たるとして、同年2月初め、兵庫県警に告訴状を提出しました。
兵庫県警は、A、子守氏の聴取、YouTube発信の現場の確認等の捜査を行って、書類を神戸地方検察庁に送付、神戸地検では刑事部のT検事が担当し、子守氏を取調べた上、6月16日に、侮辱罪で神戸簡易裁判所に略式命令請求を行い、同月18日、科料9000円の納付を命ずる略式命令が出されました。
Aへの処分通知書の送付と、ネット上での公開
告訴事件の場合、検察官の処分結果について、告訴人に「処分通知書」が送付されます。子守氏を告訴したAに対しても、処分日の6月16日付けで、「処分区分 起訴」と記載された処分通知書が送付されました(「略式請求」と、正式起訴の「公判請求」とは異なりますが、処分通知書の「処分区分」としてはいずれも「起訴」となります)。
Aは、6月20日に、処理罪名を侮辱、被疑者名と検察庁の事件番号を「黒塗り」にしたT検事名義の告訴人「大森貴逸」宛ての処分通知書を、「北海道の歩き方」のXアカウントの冒頭に貼り付けて掲載し、本文に
【(祝)起訴されました(祝)】当アカウントを誹謗中傷した反斎藤派の「名前を言ってはいけないあの人」は神戸地検に【起訴】されました。
竹内嫌疑への誹謗中傷はやめるよう呼びかける一方で、斎藤知事や斎藤知事擁護派の人を誹謗中傷するダブスタはやめましょう。マスゴミもやぞ
と書いて、「起訴」されたのが子守氏であることを暗示しました。
そして、福永活也氏が、同日午後9時5分に、
「書類送検どころか、子守康範氏が起訴されたという情報が入ってきましたが、本当ですか!?」
とのX投稿を行い、それを見た子守氏が、
「デマ拡散の魚拓いただきました。裁判所で会いましょう!」
とX投稿しました。
こうして、「北海道の歩き方」のアカウントの運用者のAから情報や資料の提供を受けた福永氏が、SNS上で子守氏に「起訴」について質問し、それに反発した子守氏が「デマ拡散」などと投稿しました。その後、福永氏は子守氏に対して名誉毀損による損害賠償請求訴訟を提起しています。
福永氏は、Aから子守氏が起訴されたことが書かれた検察官名の「処分通知書」を送付され、それを根拠に、「子守氏起訴」は間違いないものと考えて、上記X投稿を行ったのでしょう。
Aの目論見は、批判者の子守氏が「科料9000円を支払わされること」ではなく、「刑事罰に処せられた犯罪者、前科者として批判にさらすこと」です。そのために、「検察官の処分通知書」が「告訴人」に対して送付されることは、格好の材料でした。しかし、その処分通知書の真正な書面をそのままネット上で公開すると、告訴人本人の氏名が記載されているので、「北海道の歩き方」のアカウント運営者Aの実名が公開されることになります。
そこでAが行ったのが、告訴人名を改ざんした「処分通知書」をX投稿で公開するという行為でした。
Aは、その日の夜に参加したXアカウントのスペースのライブ放送で、そこに参加した福永氏に、
大森さんの名前書かれていますよね、処分通知書に。だから「北海道の歩き方」さんが大森さんであることは、まあ見て分かるわけじゃないですか。
と聞かれて、
そこはボク、あの「大森」じゃないっす。これは釣りで入れました
と言って、「大森貴逸」が仮名であることを認めています。つまり、Aは、検察官名が記載され押印された処分通知書の宛先の「告訴人名」に記載された自分の実名を、仮名に改ざんして福永弁護士に送付し、ネット上で公開したのです。それによって、Aにとって、自分の実名を知られることなく、子守氏が起訴されたことをネット上で広く知らしめることが可能となりました。
しかし、以下に詳述するように、そのようなAの行為は、有印公文書偽造・同行使罪に該当する可能性が高いと考えられます。つまり、Aの目論見は、「重大な犯罪行為」を行うことによって、初めて可能になるものだったのです。
Aの行為についての有印公文書偽造・同行使罪の成立
Aは、検察官作成名義の公文書である処分通知書の宛先の告訴人名欄に「大森貴逸」という文字を組合せて「別人宛の処分通知書」を作り上げました。
公文書の一部を改ざんして原本と異なる写真コピーを作成する行為については、公文書偽造罪の成立を認めるのが、最高裁判決(昭和51年4月30日)以降の確立した判例となっています。
同判決は、
原本の作成名義を不正に使用し、原本と異なる意識内容を作出して写真コピーを作成するがごときことは、作成名義人の許容するところではなく、また、そもそも公文書の原本のない場合に、公務所または公務員作成名義を一定の意識内容とともに写真コピーの上に現出させ、あたかもその作成名義人が作成した公文書の原本の写真コピーであるかのような文書を作成することについては、右写真コピーに作成名義人と表示された者の許諾のあり得ないことは当然であって、行使の目的をもってするこのような写真コピーの作成は、その意味において、公務所または公務員の作成名義を冒用して、本来公務所または公務員の作るべき公文書を偽造したものにあたるというべきである。
と判示しています。
本件では、担当検察官は、告訴人のA宛てに、子守氏の「起訴」を通知する書面として送付したのであり、それをAが勝手に「大森貴逸」などと告訴人名を改ざんし、あたかも大森という人物が告訴人であるかのような内容の「処分通知書」が作成され、それがネット上で公開されることは、作成名義人である検察官の許容するところではないことは明らかです。
また、原本に名前を貼り付けるなど、原本だけ見れば真正な文書と誤信しないような改ざんであった場合でも、それをコピーすることで、原本とは別個の文書を作り出すのであるから、文書の変造ではなくすべて偽造罪が成立するというのが判例(最決昭和61年6月27日)の立場です。
偽造公文書の「行使」とは、「偽造された公文書を真正に作成された公文書として人に認識させ、または認識可能な状態に置くこと」であり、Aが告訴人名を仮名に改ざんした担当検察官名義の「処分通知書」のコピーの画像を、真正な書面が存在するかのように他人に認識させるためにX投稿でネット上に公開する行為は「偽造公文書の行使」に当たると考えられます。同じ「偽造公文書行使」でも、真正な文書と見分けがつかない偽造公文書の画像がSNS等で公開された場合、特定の相手に提示する場合と比較して拡散性が高く、公文書に対する信頼を失墜する程度が著しいといえます。そういう意味で態様が極めて悪質な「偽造公文書行使」と言うべきでしょう。
背景となった「被害者個人特定事項秘匿」と侮辱罪の法定刑引上げ
上記Xスペースで、Aは
「刑事だと被害者名が秘匿されるが、民事だと公開されるから、刑事告訴を選択した」
と述べています。被害者名が秘匿されることを前提に、刑事告訴を選択したようです。
被害者の個人特定事項秘匿制度は、2024年(令和6年)2月施行の改正刑事訴訟法で導入されたもので、性犯罪等の事件について、逮捕、勾留、起訴にあたって被害者の個人特定事項(氏名及び住所その他の個人を特定させることとなる事項)を被疑者・被告人に明らかにしないまま刑事手続を進めることが可能になりました。
略式請求についても、検察官の請求により、裁判所が、個人特定事項の秘匿措置をとるかどうかを判断します。
被害者の個人特定事項の秘匿制度の対象となるのは、原則として、性犯罪、児童買春、児童ポルノ関連事件など、被害者のプライバシーの保護が強く求められる事件です。その他に、「犯行の態様、被害の状況その他の事情により、被害者の個人特定事項が被告人に知られることにより」「被害者等の名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれ」「被害者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれ」も対象に加えられています。
既に述べたように、「北海道の歩き方」アカウントにおけるAのSNS投稿に対しては、ネット上で大きな反発・批判が生じていて、アカウントの運用者のAの氏名等が公開されると、A自身に厳しい批判が殺到することは必至です。そういう意味では、「被害者等の名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれ」に当たるとされる可能性はあります。その場合、起訴状の被害者の記載は匿名化され、被害者の証人尋問が行われる場合も、性犯罪被害者のようにビデオリンク方式で、法廷外とつないで行うという措置がとられることになる可能性があります。
しかし、Aが「北海道の歩き方」と称する匿名アカウントで行ってきた所業の悪辣さからすれば、それに対して「当然の批判」を受けたことに対して法がこれ程までに「手厚い保護」を行うことが、常識をわきまえた市民として納得できることでしょうか。
「北海道の歩き方」における悪辣な投稿は、法的保護に値するのか
Aが子守氏の発言に対して告訴を行うという「法的手段」をとる行動に出たのは、「被害者」の氏名が秘匿されるという個人特定事項の秘匿措置がとられることを見越し、刑事告訴という手段を選択することで、自らは実名を出さず、悪辣な投稿による批判を免れ、被告訴人の処罰だけを求めることができると考えたからです。
このようなAの告訴を、警察、検察は、なぜかまともに取り上げ、子守氏は侮辱罪に当たるとされて、科料9000円とは言え、略式命令による刑事処罰の対象とされました。
AのX投稿の不当性、反社会性の程度からすれば、子守氏の発言は、公正な論評や公益目的の言論といえ、刑法35条の正当行為として違法性を欠くと判断する余地が十分にあり、不起訴処分にすべきでした。
検察官がその子守氏を略式請求したのは、侮辱罪の法定刑引上げで求刑処理基準が引き上げられていることに加え、非公開の略式手続で9000円の科料で決着するのであれば、子守氏が受ける不利益は極めて僅少で、不起訴処分に対して、Aの検察審査会への申立てで騒ぎが長引くより子守氏にとっても有利と考えたからでしょう。
しかし、Aは、子守氏の刑事処分が非公開の略式手続で終わっただけで済ますつもりはなく、「子守氏が起訴されたこと」をネット上で拡散しようと考えていました。そのため、斎藤派の弁護士の福永氏に連絡する一方、検察官から送付された検察官の実名と押印のある処分通知書を、自分の氏名が記載された部分を改ざんして「北海道の歩き方」のXアカウントで公開することによって「子守起訴」の事実をネット上で広めようとしたのです。
少なくとも、現時点までは、Aの目論見どおりに進んでいます。
SNS時代における「侮辱罪法定刑引上げ」「被害者個人特定事項秘匿制度」の運用
2022年7月施行の刑法改正で「侮辱罪」の法定刑が引き上げられ、それまでは「拘留・科料のみ」だったのが、改正により「1年以下の拘禁刑・30万円以下の罰金」が加わったのは、SNSやインターネット上での悪質な誹謗中傷が社会問題化し、被害者が深刻な精神的ダメージを受けたり、自殺に追い込まれたりする事件が発生したことを受け、国民の間で誹謗中傷を抑止すべきとの意識が高まったことが背景となったものです。それにより、それまで、殆どが起訴猶予で済まされ、悪質なものでも科料で済まされていた侮辱罪が、原則として科料以上の量刑となりました。
しかし、本件の「北海道の歩き方」のAのように、匿名アカウントを利用して、非常識極まりない悪辣な投稿を行うアカウントの運用者の「外部的名誉」を保護することが、侮辱罪の法定刑引き上げの趣旨・目的に沿うものとは到底思えません。
刑訴法改正による被害者個人特定事項の秘匿措置の導入も、性犯罪やストーカー犯罪などの被害者が、刑事手続きにおいて氏名や住所などの個人特定事項を容疑者や被告人に知られることで、報復や再被害、名誉毀損、社会生活の平穏を害されるリスクを軽減することを目的とするものです。Aのような非常識な投稿を繰り返しているSNS匿名アカウントの運用者を保護することは、法改正の目的から大きく逸脱しています。
このような人物が、そのような投稿に対して侮辱的言辞で批判を行った人物を侮辱罪で告訴し、起訴された場合にまで、「被害者等の名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれがある」との要件で個人特定事項の秘匿措置が認められるとすると、匿名アカウントの非常識な投稿に批判が殺到していることも「社会生活の平穏が著しく害される」という要件を充たすことになり、自らは匿名のまま、批判者の処罰を目論むことができることなります。
子守氏が正式裁判を申し立てた侮辱罪の刑事公判は、簡易裁判所から地方裁判所に移送され、神戸地裁に係属しています。
ここで、被害者個人特定事項の秘匿措置を認めるなどということはあってはならないことです。Aの身勝手な目論見は、決して法が許容するものではなく、告訴人として子守氏の処罰を求めたAの実名が明らかにされ法廷で公開されることを当然に覚悟させるべきです。
略式手続で科料の略式命令を受けた子守氏を犯罪者扱いするために、処分検察官の実名が記載された処分通知書という検察実務の根幹に関わる公文書を改ざんして、本来は非公開であるはずの略式手続の結果をネット公開したことは、検察にとって絶対に看過できない問題です。しかも、子守氏のYouTubeでの発言は、匿名アカウントによるあまりに非常識な投稿に対するものであり、正当な意見・論評として違法性を否定する余地は十分にありました。
そのような告訴人の人物の所業や目論見がわかっていたら、侮辱罪の法定刑引上げ後であっても、検察官が「起訴」の判断を行うことはなかったはずです。
検察官は、「北海道の歩き方」の匿名アカウントの運用者のAに騙されたとも言えます。
神戸地検がまず行うことは、被害者個人特定事項の秘匿措置の適用の是非を再検討するとともに、自らが作成者である公文書が改ざんされて公開された被害者の立場でもあるAの有印公文書偽造・同行使罪に対して厳正な処分を行うことです。
その上で、そのようなAの告訴による子守氏への公訴提起を維持すべきか否かについても、検察の組織としての検討が行われるべきでしょう。
「匿名アカウントに対する侮辱」を刑事処罰の対象とすることの根本的問題
この事件は、侮辱罪の法定刑引上げの刑法改正、被害者特定事項の秘匿措置導入の刑訴法改正が、SNSの社会的影響の飛躍的増大という状況の中で、法の趣旨とは大きく異なる方向に悪用されかねないことを示す事例であり、今後の法運用に関わる極めて重要な問題を提起するものと言えます。
SNS上で「悪ふざけ投稿」が、面白おかしく取り上げられて、一部の人間に楽しまれる、それはそれで勝手にやればよいことです。しかし、そのような匿名投稿が限度を超え、人の名誉や尊厳を傷つけたり、著しい不快感を生じさせたりした場合、それに対して相応の批判が行われるのは当然であり、その表現も相当程度までは許容しなければバランスが取れません。そのような「当然の批判」から匿名アカウントを保護することに司法が利用されたり、検察が手を貸したりすることなど決してあってはならないのです。
根本的な問題として、SNS上の「匿名アカウント」を侮辱罪による保護の対象とすべきかについて、抜本的な検討が必要なのではないでしょうか。
法の穴を潜り抜ける悪辣な行為を繰り返し、一方で、それに対する攻撃を司法の力で守ってもらおうなどという発想は、健全な社会人の常識からは思いもよらないものです。このような状況が野放しになっている現状は、まさに「法と正義の危機」というべきです。
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