新著のご案内
【"歪んだ法"に壊される日本 ~事件事故の裏側にある「闇」】先週末、校了しました。
3月20日発売で、Amazon予約受付中です。
【「深層」カルロス・ゴーンとの対話:起訴されれば99%超が有罪となる国で】以来、3年ぶりの著書です。
コロナ禍の間、ネット記事、YouTube等で発信してきた問題について改めてじっくり考え、今の時点で書けることを書き尽くした、私としては、”渾身の作”です。
日本は、本当に法治国家なのだろうか。その問いに向き合う活動を始めたのが、検察に在籍していた最後の期間、それから、早くも20年が経ちます。その活動は、【「法令遵守」が日本を滅ぼす】等の著書を通して、コンプライアンス≠法令遵守を説くことで展開していきました。しかし、「法の中身や運用の歪み」が、ほとんど認識されることもなく、まかり通っている現状は変わりません。それによって、日本社会が壊されつつあることへの危機感を、少しでも多くの人と共有したい、それが、本書の執筆の目的です。
ニュースレター【郷原信郎の「世の中間違ってる!」】の会員の皆さんに、本書の「はじめに」全文を公開します。関心を持って頂けたら幸いです。
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はじめに
「法」のことが話に出てくると、「法律は専門ではないので」「法律のことはわからないので」という〝言い訳〟が出てくる。一歩引いて、「そういう話は法律の専門家の方でやってください」という姿勢になる。
それでも、日常生活では「法」に関わること、「法」が問題になることはほとんどないので、特に困ることはない。しかし、一度、予想していなかったトラブル、揉め事、事件に巻き込まれると、「法律ではどうなるのか、訴訟で何ができるのか」ということがにわかに重大な関心事となる。そして、その問題が片付くと、また、元の「法への無関心」に戻る。
そもそも、国民を代表する国会で作られる法律に則って政治も行政も行われなければならないというのが「法治国家」だ。細かい条文や解釈は別として、法律が何のために定められ、どのように運用されているのかを知ることは、国民にとって避けては通れないことのはずだ。しかし、実際には、法律の内容や運用は一般人にはほとんど理解されていない。
日本では、学校教育で「法や司法制度や、それらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身に付けるための教育」としての「法教育」がほとんど行われて来なかったこともあり、多くの国民が「法の素人」という意識を持っている。〝お上〟によって「法」は正しく運用されていると無条件に信じ、「法」にひれ伏してしまう傾向がある。
法の内容や運用の実際は「世の中の認識」とは異なっていることも多いが、それが知られることもなく、そのまままかり通ってしまう。
日本では、法が、実質的に国民に共有されていない。そのため、「形」だけは整っていても、「魂」が入っていないのである。
本書では、法自体、あるいは、法の運用に、国民の多くが知らない大きな「歪み」が生じ、それによって社会が蝕まれている5つの問題を取り上げる。
第1章で取り上げるのは、日本の刑事司法の世界で、普通の生活を送り、仕事をしている一般の市民が、犯罪捜査という「歪んだ法運用」の脅威にさらされている現実だ。
日本は欧米に比べ犯罪の検挙率、有罪率が圧倒的に高い。その背景に、罪を犯した者が、警察、検察に犯罪事実を自白する率が高いことがある。国会の法務大臣答弁でしばしば出てくる「すべての刑事事件は、法と証拠に基づいて適切に処理されている」という言葉のとおり、犯罪者は「確実に」検挙・処罰され、適切に刑事処分が行われ、自らの罪を認めて悔い改めることで、日本社会の治安の良さが維持されてきた、というのが一般的な見方だ。
そういう「世の中の認識」は、一方で、容疑を全面的に認めないと、勾留が続き、保釈も認められず、長期間にわたって身柄拘束が続くという「人質司法」が許容されることの背景にもなってきた。
警察、検察が「常に」正しく、逮捕・起訴の判断に誤りがないのであれば、容疑を否認している被疑者が罪を免れようとしているだけということになるので、「人質司法」も実質的にはそれ程問題ではない。
しかし、警察、検察が判断を誤り、不当な逮捕、起訴を行った場合、「人質司法」は、恐ろしい「凶器」となる。無実、潔白を主張する者が、逮捕、起訴が不当だと訴えようとすれば、長期間にわたる身柄拘束を覚悟しなければならない。起訴されたら、検察官の主張を丸ごと認めない限り、自由の身にはなれない。それが嫌なら、意に反して自白するしかない。それが、「人質司法」によって冤罪が生じる構図だ。
それも、窃盗、強盗、殺人などのような、被害の「発生」によって捜査が開始される「発生型事件」と贈収賄、経済犯罪などのように、捜査機関が刑事事件としての「立件」の判断をする「立件型事件」とでは構図が異なる。
「発生型事件」の場合、現実に被害があり、事件は存在している。もし、犯人ではない人間を逮捕し、それを検察が起訴したとすれば、警察、検察の捜査や公判での立証活動は、逮捕・起訴された者にとって「冤罪」につながると同時に、真犯人の検挙を妨げる行為になる。
それに対して、「立件型事件」は、被害が発生したわけでもなく、誰かが「被害」を訴えているわけでもない。捜査機関側が「その事件を刑事事件として立件し捜査の対象とする」と決めて捜査に着手したものだ。もし仮に、逮捕、起訴の判断が誤っていた場合、犯罪自体が存在しないのであり、別に真犯人がいるわけではない。
そういう「立件型事件」でも、警察、検察は、起訴や有罪判決に徹底して拘り、諦めようとしない。それは、その事件を「立件」して捜査の対象にしたこと自体が間違っていたと認めたくないからだ。捜査機関の面子がつぶれ、立件の判断をしたことの責任が問われるからだ。それが「引き返そうとしない」最大の理由だ。
しかも、こうした「立件型事件」では、それまで犯罪とは全く縁がなかった「普通の市民」も捜査の対象とされる。そこが「発生型事件」とは大きく違う点だ。
第1章では、普通の市民に対して、あるいは市民の代表であった市長に対して、突然、刑事司法の脅威が襲い掛かった「立件型事件」の実例を3つ、私自身が刑事弁護を担当した事件の中から取り上げる。それに加えて最新の問題事例も取り上げる。そこには、多くの人が知らない、恐ろしい刑事司法の現実がある。
第2章では、公職選挙法と政治資金規正法の重大な欠陥について取り上げる。
自ら多額の現金を配布して回った選挙買収で逮捕・起訴され、実刑判決を受けた、前法務大臣で当時衆院議員であった河井克行氏の事件を中心に、公職選挙法の買収罪についての世の中の認識が大きくズレており、買収罪による摘発やその可能性が、かえって公正な選挙を実現するという法目的に反する事態になっている。それに加えて、「政治とカネ」の問題でしばしば登場する政治資金規正法という法律の重大な欠陥について述べる。
河井事件以降、「選挙とカネ」をめぐる疑惑が相次いで表面化しているほか、社会的に問題が指摘される旧統一教会の自民党議員への選挙応援、派閥の領袖による票の差配の疑惑も生じ、「選挙の公正」への信頼が大きく損なわれている。
また、岸田政権においても「政治とカネ」問題は後を絶たず、政治資金規正法を所管する総務大臣までもが、政治資金疑惑で辞任に追い込まれる事態に至っている。
しかし、これだけ頻繁に話題に上る法律なのに、公職選挙法、政治資金規正法の運用の実態は、世の中にほとんど理解されていない。
河井夫妻事件でも逮捕容疑となった「買収」というのが、実際に、どういう行為なのかも正しく理解されてはいないし、世の中の常識からすると最も悪質な違反、つまり、政治家本人が直接受け取る「ヤミ献金」の多くが政治資金規正法では処罰できないという、「ザルの真ん中に大穴が開いていること」も、ほとんどの人は知らない。
第3章では、株主運動家や原発事故被害者ら東電の株主48人が、旧経営陣5人に対し、津波対策を怠り、原発事故が起きたために会社が多額の損害を被ったとして提起した「株主代表訴訟」で、4人に対し、連帯して13兆3210億円を東京電力に支払うよう命じる判決が出たことを中心に、原発事故をめぐる損害賠償制度の問題を取り上げる。
通常、個人より高額になるはずの会社に対する賠償額を含めても、世界最高額になると思われるような莫大な金額、訴訟大国アメリカでも類を見ないような、異常な金額の賠償を命じる判決が出されたのはなぜなのか。そこには、日本の原子力損害賠償法に基づく賠償制度の構造的欠陥と、それに起因する原子力事業者である電力会社の「ガバナンス不在」の問題がある。
福島原発事故までの原発事業は、実際には、原子力事業者だけに無限責任を押し付ける原賠法の異常な枠組みの下、各電力会社は、「原発安全神話」を前提とする、「いざとなったら国が助けてくれる」という自律性を欠いたガバナンスによって運営されてきた。それが福島原発事故後も多発する重大な不祥事の原因にもなっている。
ところが、2011年の東京電力福島第一原発の事故以来、原発の新増設を認めず、電力発電に占める原発依存度は可能な限り低減させる政策を貫いてきた政府の原発政策は、今、岸田文雄首相によって原発を積極活用する方向に大幅に変更されようとしている。
異常な賠償制度の枠組みの問題に全く手をつけることなく、福島原発後も、重大な電力会社不祥事が相次いでいる現実に全く目を向けることなく、日本の原発政策が積極方向に転換されることには重大な問題がある。
第4章では、「消費税は預り金」という「法律の誤解」の問題を取り上げる。
1989年に3%の税率で導入されて以降30年余の間、国民のほとんどが、「消費税は、社会保障財源のために消費者が負担する税であり、事業者は、販売価格に上乗せされた消費税を預かって税務署に納めているだけで、事業者の経営に影響するものではない」と思ってきた。
しかし、このような認識は誤っている。少なくとも消費税法の規定からは、消費税は「取引の対価」の一部であり、「預り金」ではないことは明らかだ。消費税の納付義務を負うのは事業者であり、転嫁できない分は事業者の負担となる。
ところが、政府は、消費税が「預り金」であるかのようなキャンペーンを行い、新聞、テレビなどの大手メディアも、それを前提に消費税の問題を報じ、法律上はあり得ない認識が、国民全体に広まり、動かしようがないほど定着してきた。そのように意図的に生じさせられた「法律の誤解」が日本の経済社会に大きな「歪み」をもたらしてきた。
第5章は、交通事故について、自動車の不具合が問題とされた場合に、信頼できる客観的な原因の特定が行われているのか、という問題だ。
交通事故が発生すると、警察捜査として事故現場の実況見分を行い、運転者、歩行者などの事故当事者双方の供述に基づいて、事故原因が解明され、当事者の責任割合に応じた事故処理が行われるというのが一般的なパターンだ。
しかし、稀に、交通事故の原因解明において、運転者側の訴えによって「自動車の不具合」という要素が加わることがある。この場合、抽象的に言えば、事故車両の製造メーカーは、「加害者」になり得る。このような事故においても、警察が自動車運転過失致死傷罪の刑事事件として、その捜査によって事故原因を特定するのであるが、そこで真実が正しく解明されていると言えるのだろうか。自動車の不具合も含めた交通事故の原因解明のための日本の制度と運用には問題はないのか。
2016年1月15日、スキー客の大学生らを乗せた大型バスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落、運転手を含む15人が死亡、26人が重軽傷を負う「軽井沢バス事故」が発生した。実は、この事故で警察が特定した「運転手のミス」という事故原因には疑問がある。この事故を中心に、自動車の不具合を含む交通事故の原因究明の在り方を考える。
終章でも述べるように、私は理科系出身で民間企業に勤めた後、20代前半で、会社を辞めて法律の世界をめざした時、法律の教育を受けたこともない、何も知らない人間だった。
独学で司法試験を突破し、「ど素人」のまま法律の世界に入った私は、検事に任官し、自分なりの考え方、やり方で、司法の実務に携わってきた。そして、法務省法務総合研究所総括研究官と桐蔭横浜大学教授を兼任していた2004年に同大学コンプライアンス研究センター設立に関わり、日本社会の法令や規則と社会の実態が乖離し、不合理が生じていることを指摘した上で、形式的な「法令遵守」から脱却し、「社会的要請への適応」をめざすコンプライアンスの啓蒙活動を展開した。
2006年に退官、弁護士登録した後も、その活動を継続し、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会』(講談社現代新書)などの著作群で、「歪んだ法」や「歪んだ法運用」にひれ伏す日本人の有り様、それを生む構造を指摘してきた。その頃の業務の中心は、講演や組織の不祥事対応、第三者調査等であり、弁護士登録はしていても、数年間は、裁判所に行ったことすらなかった。
こうした中で、経済法令や政治資金規正法の「歪んだ運用」の典型と言えるライブドア事件、村上ファンド事件、陸山会事件等の検察捜査を厳しく批判してきたが、当初は、検察の実務経験を持つ有識者としての、「外野からの評論」がほとんどだった。大阪地検の証拠改ざん問題等の検察不祥事からの信頼回復のために法務省に設置された「検察の在り方検討会議」に委員として加わったのも、その延長だった。
しかし、本書の第1章で述べる経営コンサルタント佐藤真言氏の事件を知り、懸命に中小企業の経営改善に取り組む経営者と、それを必死に支える経営コンサルタントという、2人の「ひたむきに生きている善良な市民」が東京地検特捜部の非道な捜査・起訴に踏みつぶされようとしていることに衝撃を受けた。その経営者であるA氏の控訴審の弁護を受任し、弁護人として法廷に立って以降、私は、刑事事件の現場での弁護人としての検察との戦いを通して検察の在り方について問題提起をしていくことも、積極的に行うようになった。
こうした「検察との戦い」も含め、社会で生起する様々な事件・事故等について、自分なりに情報収集・事実解明し、問題の背景・構造を明らかにする発信を、個人ブログ「郷原信郎が斬る」、Yahoo!ニュース「問題の本質に迫る」、YouTube《郷原信郎の「日本の権力を斬る!」》等で行ってきた。
本書では、そのような発信の中で大きな反響を呼んだテーマを取り上げ、具体的事例を通して「歪んだ法」が日本社会をどのように蝕んでいるのか、何が問題の本質なのかを明らかにしていきたい。
そして、そのような現状を根本的に改め、日本を本当の意味の法治国家に近づけていくために、どうしたらよいのかを考えてみることにしたい。
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