自民党政治資金パーティーの「裏金問題」、20年前の事例

昨日(12月3日)、テレビ朝日「サンデーステーション」に出演した際に検事時代に手掛けた「政治資金パーティー裏金事件」に言及しましたが、この事件については、過去に、まぐまぐの会員向けメルマガ「長崎の奇跡詳細版」で詳しく述べていましたので、該当部分の号を、当ニュースレターでもお送りします。
郷原信郎 2023.12.04
誰でも

政治資金パーティーの裏金化を政治資金規正法違反事件として立件することは、一般的には容易ではないのですが、この時の事件では、別件の捜索で、「裏金化と金額」を示す明確な証拠物が押収されていたことに加えて、裏金処理を行ったことについて事務担当者が全面的に自白、それに加えて、周到な準備の上で行われた取調べのテクニックによって、県連幹事長からも共謀の自白を得ることができ、刑事立件が可能になりました。

この20年前の事例は、今回の自民党5派閥の政治資金パーティーの「裏金問題」が刑事立件できるかを考える上でも参考になると思われます。

以下、【権力と戦う弁護士・郷原信郎の“長いものには巻かれない生き方”】#59と#62から抜粋したものをお送りします。

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《長崎の奇跡 詳細版(第16話) K県議会議長に対する本格的捜査》

*全国レベルの「政治とカネ」問題に*

自民党長崎県連事件は、国会で野党が、自民党の公共工事から「上前」を撥ねる金権体質、政権与党とゼネコン業界との癒着・腐敗の問題として、小泉政権への「政治とカネ」問題の追及の材料とされ、全国紙でも取り上げられ、注目を集めました。

そのきっかけは、自民党長崎県連の幹事長が逮捕されたことについて、当時の小泉純一郎首相が、首相官邸で記者の質問に答え、

「大変遺憾なこと。政治家として、政治活動、疑念を持たれることのないように、信頼を得られるような活動をしていかなければならない」

とコメントしたことでした。

それ以降、この事件は、発足以来、高支持率を誇っていた「小泉自民党」を直撃する事件に発展していきました。

自民党長崎県連をめぐる違法寄附の問題は、長崎県で公共工事を受注するゼネコン全体と長崎における政治権力の中枢部に関わる構造的な問題になりつつありました。

この時の検事総長は、原田明夫氏。

1990年に私が公正取引委員会に出向した時に法務省の人事課長、折に触れて、私のことを目にかけてくれ、

「検察に新風を巻き起こしてほしい」

などと期待の言葉をかけてくれていました。

私にとっては、大変頼もしい大先輩でした。

原田総長であれば、長崎地検の捜査の意義を理解してくれるものと思っていました。

しかし、そういう原田検事総長に対する私のイメージが大きく崩れる一つの出来事がありました。

*諏訪神社「節分・豆まき」をめぐるエピソード*

2月3日は節分、私は、その年、数えで48歳、「年男」でした。

長崎市玉園町の次席検事官舎のすぐ近くに、「くんち」で有名な諏訪神社がありました。

そこでは、毎年、節分の日に、年男が、神社の境内で「豆まき」をする行事があり、私も、地元の知人に勧められて、羽織袴を着て、「豆まき」をする予定になっていました。

その年の4月1日付けで、長崎地検から東京地検への異動の内示を受けており、長崎での2年間の最後の思い出の一コマになるはずでした。

1月下旬、そのことについての感謝の心を込めて、検察内のLANシステムで、原田検事総長宛てにメールを送りました。

「長崎に赴任し、その直後に実父が急逝するという不幸から始まった長崎での勤務でしたが、無事に2年間勤務することができ、その任期中に、自民党長崎県連事件の捜査で思う存分力を発揮することができたのは、原田検事総長以下、検察の先輩諸兄のおかげでです。
深く感謝しています。
そして、間もなく訪れる「節分の日」には、諏訪神社で「年男」の「豆まき」をする予定になっており、大変良い思い出になりそうです」

というようなことを書きました。

すると、それから間もなく、福岡高検次席から電話がかかってきて、

「諏訪神社で豆まきをするのはやめなさい」

と言われました。

「どうしてですか」

と聞くと、

「自民党長崎県連事件で、自民党と戦っている時に、『豆まき』の行事に出たりすると、長崎地検の次席検事が『鬼は外』と言って自民党の鬼退治しようとしていると、マスコミに面白おかしく書かれるおそれがあると懸念する声がある」

という話でした。

私が諏訪神社の「豆まき」の行事に参加するという話を知っているのは、私がメールで知らせた原田検事総長だけでした。

原田総長が、「豆まきは止めさせろ」と福岡高検に指示したということしか考えられませんでした。

「豆まき」で「自民党の鬼退治」、どうして、そのような子供じみた発想が出てくるのか、信じられませんでした。

「原田検事総長」は、私が思っていた大先輩の「原田明夫氏」とは全く別人になっているようでした。

*前幹事長時代の事件で、捜査を「時間軸」的に展開*

自民党県連A幹事長、Y事務局長の公選法違反、政治資金規正法違反の捜査が大詰めを迎える中で、長崎地検捜査班は、次の捜査の展開として、Aの前任幹事長で、当時、長崎県議会議長だったKに照準を合わせていました。

捜査の対象を、時間軸的に拡大させるために、今回のような違法寄附の問題が、平成13年6月に県連幹事長に就任したAの代以前から恒常的に行われていたものであることを明らかにしたいと考えていました。

ゼネコン関係者の話では県連幹事長がゼネコンの九州支店に出向いて選挙資金としての寄附を要請するというのは、少なくとも、Kの前任のT幹事長の時代以降はずっと行われてきたとされていましたが、A以前の幹事長については、「選挙資金の寄附」の要請が行われたことを示す直接的な証拠はありませんでしたし、ヤミ献金を受領した封筒なども押収されていませんでした。

しかし、Kの犯罪事実の端緒として、前にお話ししたように県連の捜索で押収された証拠物から明らかになった平成12年に長崎県連が主催した政治資金パーティーをめぐる政治資金規正法違反の疑いがありました。

県連の政治資金収支報告書には、この年の3月に開かれた政治資金パーティーでは、一枚2万円のパーティー券を約8500枚販売し、約1億7000万円の収入があったと記載されていました。

しかし、逮捕後のYの供述によると、

実際には1万枚余り販売し、2億円余りの収入があったにもかかわらず、Kと共謀して、3000万円以上の収入を裏に回し、政治資金収支報告書にパーティー券収入を実際より少なく記載した

とのことでした。

それによって作った裏金は県連の金庫に保管し、そのほとんどを幹事長のKに渡したというのです。

A、Yの事件の捜査と併行してパーティー券収入の金の流れについての銀行捜査や県連職員の取調べを行ったところ、Yの供述がほぼ裏付けられました。

押収されたYの手帳には、12年の年末に、Yが県議会議員十数名に30万円から50万円を渡したことを示すメモがあり、これについてYは、Kの指示で県連の裏金から渡したものだと供述しました。

こうして、1月末の段階で、この政治資金パーティーの事件の捜査も、あとはKの取調べを行うだけという段階になりました。 

*K県議会議長の任意取調べ*

そこで、Kを呼び出して取調べることになりましたが、ここで登場するのが、長崎地検捜査班のキャプテンのI検事です。

2人で取調べのやり方について綿密に打合せました。

現職県議会議長の事件を立件するわけですから、証拠のレベルのハードルは相当高いと考えなければいけません。

Kとの共謀についてyから詳細な供述が得られていましたが、何と言っても物証がないので、Kが否認すれば1対1ということになってしまい、立件は困難だと思われました。

何とかしてKに共謀を認めさせるための「切り札」として考えたのが、前に県連の金の使い方のデタラメさに関してお話しした「臥牛窯」でした。

Kが220万円分の高級陶器を「贈答品」の名目で自分のものにした事実は「使い込み」そのもので、全く弁解の余地のない行為です。

これをネタにしてKを攻め、政治資金パーティーの収入に関する不正についての共謀も認めさせるというのが、我々が立てた作戦でした。

2月 1日土曜日の午後、大村支部でKの取調べが始まりました。

簡単な前提事項の質問の後、I検事は県連の会計書類をKの目の前に示し

「この220万円の臥牛窯はどうされましたか」

といきなり質問しました。政治資金パーティーのことを聞かれると予想していたKの動揺は極限に達しました。

顔や首筋から汗が噴き出し、立会事務官が

「暑いですか。ストーブを消しましょうか」

と尋ねたそうです。

自分の動揺が表情に出ていることがわかってますます心理的に追い込まれたのか、臥牛窯の購入が「使い込み」であると認めたKは、その後すかさずI検事から政治資金パーティーの収入の不正について質問され、パーティー券収入の一部を政治資金収支報告書から除外して収入の一部を裏に回すことについて、「しょうがなかねぇ」と言ってYに了承したと供述しました。

裏に回した政治資金パーティー収入の使途については、YはすべてKに渡したと供述していましたが、Kは数百万円程度しかYから受けとっていないと供述し、この点は大きく供述が食い違っていた上、パーティー券収入を裏に回すことにした経緯についての説明はYとKとの間でかなり異なっていましたが、政治資金規正法違反の事実と臥牛窯の「使い込み」の事実を認め、「地元の支持者と相談した上議員辞職を考える」と発言するところまで追いこんだKの初回の取調べは大成功でした。

これでKに対する本格的な捜査の準備が整いました。

A、Yの勾留満期は2月5日、週明けの2月3日には、福岡高検でA、Yの処分協議が予定されており、S検事は、11社のゼネコン各社が県連への違法献金を要求されて寄附するに至った状況をペーパーにまとめる作業で連日ほとんど徹夜の状態でした。

政治資金パーティーに関する政治資金規正法違反事件でK、Yの二人を逮捕する方針を2月3日の高検協議に持ち込むため、I検事がペーパーの作成作業に取りかかりました。

翌日の夜遅くには、両方のペーパーが完成し、高検での協議の準備はすべて整いました。

2月3日、午前7時半にI検事、S検事とともに官用車で長崎を出発、午前10時からの高検での協議に臨みました。

*K県議会議長逮捕に向けての高検協議、最高検協議*

この2月3日の協議では、検事長が

「長崎地検が、いろいろ制約がある中で少ない人数でここまでやってきたんだから高検としても、地検の捜査方針が最高検で了承されるようにできる限りの支援をしたい。
最高検に行ってK逮捕の捜査方針を了承してもらうよう頑張ってきなさい。高検からも刑事部長を行かせよう。とにかく最高検を説得することだ」

と言ってくれました。

その言葉に、私もI検事もS検事も、本当に心を打たれました。

最終局面を迎えた独自捜査、県連の違法寄附の公選法違反についてのS検事のペーパーも、政治資金パーティー事件に関するI検事のペーパーも、限られた人員で短期間で膨大な事項の捜査に取り組んできた長崎地検捜査班の渾身の捜査の成果でした。

それが、検事長の心をとらえたのだと思います。

翌2月4日、最高検で行われる協議のために、私とI検事は翌朝長崎から東京に向かいました。

検事長の指示で高検刑事部長も加わり、その日の午後から最高検で協議が行われました。

最高検側は、担当の最高検検事と最高検の刑事部長でした。

刑事部長は、法務省刑事局長も務めた法務官僚のキャリアが長い検事でした。

学者肌、理論派の人で、検察幹部の中でも、福岡高検検事長などとは正反対のタイプでした。

長崎地検の作成資料に基づいて、事案の内容と、K県議会議長を政治資金規正法違反で逮捕したいという我々の捜査方針を説明したのに対して、刑事部長からは、証拠上の問題や法適用に関する問題についてもいくつか質問がありました。

その上で、政治資金パーティーの収入を一部除外したという政治資金規正法違反だけでは、現職の県議会議長を逮捕すべき事件ではないという、事件の重大性の評価の問題と、もし、K議長を逮捕して県議会議員に対する捜査を本格的に着手すると、その裏金の使途に関連して、Yの手帳の記載されていた平成12年12月の県議会議員十数名への30~50万円の供与の事実についても捜査をすることになり、4月に予定されている統一地方選挙に影響を及ぼすという問題も指摘されました。

その時点は、まだ、2月の初旬であり、4月の統一地方選挙への影響を指摘されるというのは予想外でした。

その時の刑事部長の態度や表情から、「長崎地検の捜査方針」を抑え込もうとしていることは明らかでした。

結局、「K逮捕」という我々の捜査方針は了承されませんでした。

*法務省刑事局刑事課長からの「マスコミへの不当圧力」の「言いがかり」*

その後、法務省刑事局の刑事課長に呼ばれて刑事課に立ち寄りました。

刑事局刑事課には、長崎地検の捜査の当初から、しばしば、法律解釈の問題について意見を聞くなど、頻繁に連絡を取り合ってました。

通常、話をする相手は参事官でしたが、その時は、刑事課に顔を出すと、課長が、私を別室に呼んで、全く、思いもよらぬことを言ってきました。

長崎地検次席検事の私が、マスコミに圧力をかけたことが、新聞の東京本社側で問題になっており、捜査の重大な支障になりかねない

と言うのです。

その「圧力」というのは、自民党長崎県連とマスコミとの懇親会について、次席検事レクで言及したことを言っているようでした。

その数日前、週に一回の次席検事レクの際に、長崎県連とマスコミとの懇親会のことを話題にしたことがありました。

年に1回、県連と長崎のマスコミ各社との懇親会が行われており、それについて県連が費用を負担していることが、捜査の中で明らかになっていました。

その当時、長崎のマスコミ各社は、自民党長崎県連事件のことを、連日大きく報じており、そういうマスコミにとって、県連との懇親会で、県連側に費用を負担してもらっているというのは、好ましいことではないと思われました。

私は、県連とマスコミとの懇親会について、注意を喚起しておいた方がよいと思って、そのことに触れたことがありました。

それについて、刑事課長は、

「長崎地検次席検事が、県連とマスコミとの懇親会の件で、マスコミに圧力をかけた」

と言い出したのです。

要するに、次席検事の私が、マスコミ対応で問題を起こしたのだから、捜査の続行は諦めろ、という話でした。

全くの「言いがかり」でした。

私は、次席検事レクでの話の内容を説明し、

「圧力をかける意図などないし、全く問題ないと思う」

と言って突っぱねました。

私は、東京の何人かのマスコミ関係者に、長崎地検の自民党長崎県連事件の捜査に関して、次席検事の私のマスコミ対応がマスコミ側で問題になっているという話があるのかどうか聞いてみました。

そのような話は全く聞いたことがない、「圧力」という話も出ていない、ということでした。

長崎に戻った後も担当記者の何人かに聞いてみましたが、そういうことが問題になっているという話は聞いたことがないと言っていました。

次席検事から自民党長崎県連との懇親会のことを指摘され、そのような特定の政党の地方組織との懇親会に参加していたこと自体が問題だった、という受け止めをしているという話でした。

刑事課長が、東京のマスコミから長崎地検の次席検事の記者対応について情報を収集し、県連との懇親会についての次席発言を問題にして、長崎地検の捜査を止めるネタにしようとしたものと思えました。

そうだとすると、問題にしたのはマスコミサイドではなく、法務省の側だったということになります。

*検事正への「譴責」の恫喝*

そして、ちょうど私が長崎に帰った直後に、福岡高検の次席検事から電話があり、

「石井政治検事正が、大変な決断をされたようだ」

という話を伝えてきました。

石井検事正が辞職を決断されたというのです。

ちょうど、その時期、法務省で、「検察長官会同」という、全国の高検検事長、地検検事正が一同に会する年に一回の会合が開かれていました。

「いったい何があったのだろう」と思いました。

石井検事正が長崎に戻られ、聞かされた話は衝撃的でした。

長官会同の後、最高検の刑事部長に呼ばれ、その場で、

「次席が長崎での記者対応で問題を起こした。県連とマスコミの懇親会のことでマスコミに圧力をかけた。この問題で、検事正も譴責をすることになる」

と言われたというのです。

石井検事正の話では、刑事部長は、長崎地検の自民党長崎県連事件の捜査を断念させようとして、そのような話を持ち出し、石井検事正がそれ応じないのなら、譴責処分という、検事正に対する懲戒処分を行うことを示唆したというのです。

石井検事正は、

「『譴責をされるのであれば、辞職します』と言っておいた。私は、そういう最高検に屈するつもりはない」

と言ってくれました。

石井検事正には、それまでも、長崎地検の捜査の節目ごとに、状況を報告し、指示を仰いていましたが、捜査方針について、基本的に、次席検事の私に任せ、自由に捜査を進めさせてくれていました。

長崎地検のトップの検事正が、捜査方針を理解し、積極的に支えてくれていたからこそ、そこまでの「全庁一丸となった捜査」が可能になったものでした。

石井検事正が、最高検や法務省からの「圧力」に屈することなく、「盾」になって長崎地検の捜査を守ってくれたことに、本当に感謝しました。

最後の最後まで、死力を尽くして、長崎での「政権与党の地方組織をめぐる闇」の解明に当たろうと思いました。

*検察・法務省の「自民党への気遣い」の背景*

それにしても、なぜ、最高検や法務省が、そこまでして、長崎地検の捜査を止めようとしたのか、真相は我々にはわかりません。

推測できることとして、当時の自民党にとって、「政治資金パーティー」が、企業からの政治資金の集金の「生命線」のようなものになっており、自民党の地方組織の一つである長崎県連が開催した政治資金パーティーの問題で現職県議会議長が逮捕されたということになると、その影響が全国の自民党組織に及び、大打撃を受けかねない、ということが考えられました。

1990年代に、数々の政治資金をめぐる事件が表面化し、それを受けて、企業団体献金の原則禁止の政治資金規正法の改正が行われるなど、自民党は、従来のようなゼネコン等の企業からの資金集めがやりにくくなっていました。

その中で唯一の「抜け道」になっていたのが政治資金パーティーだったのです。

それにしても、当時の最高検、法務省が、自民党にそこまで気を遣うというのは異常です。

その背景に関して、その後に明らかにされたことも含めて考えると、一つの可能性が浮かんできます。

2002年4月22日、大阪高検公安部長だった三井環氏が詐欺罪で大阪地検特捜部に逮捕され、その後、収賄罪で再逮捕され、起訴されて、実刑判決を受けました。

この逮捕が、三井氏が、検察庁の調査活動費の不正流用(裏金化)を実名告発するテレビインタビューを受ける直前だったことから、三井氏は「口封じ逮捕」だと主張しました。

そして、三井氏は、出所後の2010年に出版した著書『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』の中で、次のように述べています。

(2001年)10月末、法務検察の世紀最大の汚点が実行された。
元法務大臣の後藤田正晴氏に近い筋からの情報によると、原田検事総長と松尾邦弘法務事務次官、古田佑紀刑事局長が、他界された後藤田氏の事務所を訪ね、加納人事が承認されないと裏金問題で検察がつぶれると、泣きを入れたと言われる。これを後藤田氏は後に「けもの道」と名付けたと言われる。
検察がときの政権にすり寄って、貸し借りを作る。これは検察が政権に対して取るべき道ではない。人が取る道でなく、私が「けもの道」というゆえんなのである。
政権側も、検察が隠し持つ毒を「飲み」、表面的にはうまくおさめる。そうするとその共犯の行為が、検察と政権のその後の関係を決定していくことになるのである。

三井氏が同書で述べているように、法務・検察が、検察の裏金問題をもみ消すために、政権側にすり寄り、重大な「借り」を作ったとすると、その後、自民党に打撃を加えるような事件の捜査に影響を与えたであろうことは想像に難くありません。

2003年2月というのは、そういう「検察調活費問題」で自民党側に「借りを作った」とされた出来事の1年余り後です。

長崎地検の事件で自民党を刺激することを避けたかったという配慮が働いていた可能性があります。

そうだとすると、当時の自民党にとって重大な打撃を与えることになる県連の政治資金パーティーの問題でのK議長の逮捕を、次席検事の私のマスコミ対応に言いがかりをつけたり、石井検事正を「譴責」などと言って脅しをかけようとしたり、まさに、なりふり構わず抑え込もうとし最高検や法務省のやり方の背景に、そういう「裏金問題をめぐる自民党との関係」があったことになります。

私にとっては貴重な長崎での思い出になるはずだった諏訪神社での「節分の豆まき」にまで口を出して自民党に気を遣った原田検事総長の姿勢も、そういう事情によるものだったのかもしれません。

*「県議会議長在宅起訴」に向けての死闘へ*

K県議会議長逮捕は了解されませんでしたが、石井検事正が「盾」になってくれたことで、長崎地検の捜査は、そのまま続行することはできることになりました。

他庁からの応援検事の当初の応援期間は2月7日まででしたが、2月16日まで10日だけ延長してもらうことができました。

2月中旬に捜査を終結させれば、統一地方選挙への影響を問題にされる恐れもありません。

そこで、捜査方針を、Kの在宅起訴をめざす方向に切り替えました。

逮捕等の「強制捜査」が了承されないのであれば、最高検や法務省の了解を得る必要がない、任意捜査の範囲で、やるしかないと思いました。

十分な証拠に基づいて、在宅起訴の方針で了承を求めれば、最高検もそれを止められないと思いました。

私は、捜査班全員を集めてその捜査方針を説明しました。

「Kの逮捕は了承されず、応援期間は16日までとされたが、残り10日間で、A、Yに関連する事件の捜査をすべて終えるとともに、何とかしてKを在宅起訴に持ち込めるよう全力を尽くしてもらいたい」

と檄を飛ばしました。               

  長崎の奇跡 詳細版(第17話・最終話) 《グランドフィナーレと後日談》

*最後の10日間、死力を尽くした捜査*

最後の10日間、捜査班全員が一丸となって、まさに死力を尽くし、戦い抜きました。

とにかくこの10日間の捜査内容は膨大でした。 まず、A・Yの関係だけでも、捜査すべき事項が、かなりの量残っていました。 県との契約関係がない会社からの寄附については、公選法違反は成立しないので、政治資金収支報告書に記載しないで「裏金」にしたことについての「政治資金規正法違反」を立件しました。

こちらの方は、年末に捜索を行ったs建設以外の3社のゼネコンの寄附の事実についての供述調書の作成が、まだほとんど手つかずでした。 この「政治資金規正法違反」は、「県連の収支報告書に寄附の金額を過少に記載した」ということですから、県連内部における収支報告書の作成手続の流れや関与者を詳細に解明する必要があります。 そのための捜査だけでも、通常であれば10日間は十分にかかるのですが、加えて、10日間で、県連の政治資金パーティーの事件でKを在宅起訴に持ち込むための捜査までやってしまおうというのです。

それだけではありません。その時点に至っても、我々捜査班は新たな事実をどんどんつかみつつありました。 検察の使命は、捜査によって「事実」を明らかにしていくことにあります。 最終的な捜査結果の取りまとめは最後の2、3日でやることにして、残された僅かな捜査期間、とことんまで「事実」を明らかにし尽くそうというのが我々の方針でした。

県連の職員の取調べで、事務局長のYが次長と共謀して県連の金を使い込んでいた事実が明らかなり、さらにYを追及していったところ、Yが県連の金から300万円を自己の蓄財に回していた事実も明らかになりました。

また、長崎地検の第一次ゼネコン強制捜査の数日後に自民党本部から弁護士が来た後、県連職員が深夜に呼び出されて大量の書類をシュレッダーにかけた事実も明らかになりました。

*K県議会議長、略式命令で公民権停止へ*

しかし、Kの政治資金規正法違反事件の捜査は難航していました。

大村支部での取調べでI検事に「臥牛窯」の件を追及されて一気に追い込まれたKも、恐れていた「逮捕」という事態に至らなかったためか、自白を翻しました。

Yとの間で政治資金パーティーの収入を除外することについて共謀した事実を否認して、Yが独断で行ったかのような供述を始め、また、使った裏金の額も、当初自白していた額より大幅に少なくなりました。

Kは、県議会議長職を辞任したものの、議員辞職はせず、記者会見でも 「疑惑を持たれたことで県政を混乱させた責任をとって議長職を辞任する」 と述べただけで、自らの非は一切認めませんでした。

Yの手帳に「30万円~50万円を渡した」と記載されていた十数名の県議会議員の一斉取調べも行いましたが、裏金の受領を認めた議員はごく僅かでした。 Yの使い込みの事実が明らかになったことも、Kの刑事責任を立証する上ではマイナスでした。

当初の我々のイメージでは、Yは「常に幹事長の指示にしたがって動いている県職員出身の真面目な事務屋」でした。 しかし、調べが進むに連れて、Y自身も県連内部でかなりの力を持っていたことがわかってきました。 そうだとすると、Kとの共謀や、Kに裏金をすべて渡していたことに関するYの供述も、無条件で信用するわけにはいかなくなってきます。 そのため、Kの処分を決めるにあたって、「政治資金規正法違反についての共謀の有無」と、「裏に回した金の使途」という二つの問題について慎重に証拠を検討することが必要になりました。

前者は犯罪事実が立証できるかという問題、後者は刑事責任のレベルの問題です。 まず、後者の「裏金の使途」の問題ですが、裏金をKにすべて渡したというY供述が全面的に信用できるかというと、確かに問題はあります。 その政治資金パーティーは自民党長崎県連が自民党本部から大物代議士も招いて開催したものですから、収入の一部を裏に回して大物代議士に謝礼として渡すということが慣例になっていた可能性もあり、そういう裏金の使途については、Yが事務局長という立場で、Kに相談せずに決めていたことも十分考えられます。 しかし、県議会議員十数名に30~50万円を渡したというyの手帳の記載は、長崎地検の捜査に備えてYが捏造したものとは考えられません。

実は、この手帳の記載は鉛筆書きされたものが消しゴムで消された状態でYの自宅の引き出しの奥から発見されたのです。 消しゴムで消された記載を、陽に透かしたりして見て判読し、最終的には科学捜査研究所に「筆圧痕鑑定」を依頼して確認しました。 そのような手帳の押収経過からすると、この記載は100パーセント信頼できます。 では、「裏金をどの県議会議員にいくら渡すか」をYがKに相談しないで決めることがあり得るのだろうか。 この裏金が自民党所属の議員すべてに一律に手渡されたというのではなく、県連内部でどちらかと言えばKと対立する派閥に属していた議員を中心に渡されており、野党議員も一人含まれていたということから考えると、その当時、Kがめざしていた次期県議会議長の選挙に有利になるように、K自身が供与先を決めたとしか考えられません。

このように考えると、少なくともこの県議会議員への裏金の供与がKの指示によるものだということは間違いなく、仮にYが裏金の一部を慣例にしたがって党本部の大物代議士に渡した事実があったとしても、それ以外のかなりの部分はKに渡したか、Kの指示によって他の県議会議員に渡したものと考えられます。

それを前提にして前者の「共謀の有無」について考えた場合、相当な額の裏金の存在を認識し、実際にそれを費消していたKは、政治資金収支報告書の収入欄から「裏金分」が除外されているという認識があったと見ることができるわけですから、Yの供述に加えて、K自身の、一度は共謀を認めた供述を合わせれば、共謀については証拠上全く問題ないということになります。 このように考え、我々は、 「Kの政治資金規正法違反の在宅起訴は十分に可能」 と判断しました。

しかし、事件の悪質性・重大性という面では、略式の罰金請求を超えて公判請求して禁錮刑を求刑するということに関しては、Kが具体的にどれだけの裏金をどのように使ったかが解明できていないということが最大のネックであることは否定できませんでした。 だからこそ、Kを逮捕・勾留して徹底的に取調べたかったのですが、その点については、最高検の了承が得られなかったのですから仕方ありません。 そこで、我々が出した結論は、「Kを在宅のまま略式請求する」というものでした。

略式命令を受けて罰金刑となれば、Kは公民権停止となって県議会議員を失職することになります。 「K逮捕」は果たせなくても、「議員失職」に追い込むだけでも、Kに対する捜査は一定の成果を上げたと言えました。

そこで、証拠関係について高検に報告し、最高検からもKの略式請求について了承を得た上で、Kの弁護人を呼んで、略式請求に応じるかどうか打診しました。 弁護人は、最初は

「Kは無罪を主張しており、略式に応じるわけにはいかない」

と言っていましたが、こちらが

「それなら当然のことながら我々はKを公判請求します。公判ではY供述に基づいてKの犯罪事実を立証するだけの十分な証拠があります」

と自信満々の態度を示すと、

「本人に伝え、支持者などと相談した上で結論を出させます」

と言って帰っていきました。

実は、その時点では、Kを略式請求することについては了承を得ていましたが、もし略式に応じない場合に公判請求することについての了承は得ておらず、その場合は改めて協議をする必要がありました。

通常は、略式に応じない場合にそのまま放っておくことはありませんが、政治資金規正法違反という特殊な問題だけに、協議がどうなるかは予断を許しませんでした。

しかし、そんなことは弁護人に対してはおくびにも出さず「自信満々」で略式請求の打診したところ、結局、K側は略式に応じる意向を伝えてきました。

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